先日の新聞に「武道はスポーツですか?」という記事があって興味深く読みました。よく言われる「道」の精神とか、スポーツマンシップとか。「道」は上位を目指す競技の思想とは異なるものですが、「道」とは何かを示す明確な基準はないといいます。僕は柔道を経験しているので大会を見るのは好きです。武道家が技をかけ合い「一本」が決まる瞬間には心が躍ります。そこには一種の芸術性すら感じます。一方、礼儀作法や相手を重んじる心を持つことに精神的な尊厳も感じています。勝利した時にガッツポーズをするか否か、よく議論されることですね。
武道は趣味とは違うように思いますが、趣味と競技にもそうした対比が出来るように思います。自転車を趣味として心を満たし幸福を味わっているのか、競技として切磋琢磨して上を目指すことに充実感を味わっているのか。僕は自転車を趣味として楽しんでいます。乗って楽し、弄って楽し、見て楽し。そして自転車競技としての最高峰であるツールドフランス等を見るのも好きです。でも自分で自転車レースをしようとは思いません。せいぜい峠のタイムが以前より少し縮まったとか、湘南の道路で勝手にバトルとか、そんな程度です。
この数年、自転車界は競技志向が強過ぎると感じてきましたが、最近は趣味で楽しんでいる人達の勢いも感じるようになってきました。各地で開かれるイベントもそうですし、車種としてはグラベルロードやオールロードの台頭、またアップハンドル系の自転車も注目されています。こうした動きはやはり各種SNS等のインターネットでの発信が大きいでしょう。
Source: rikoパパのブログ
文字通りインターネットは国の境が無いので、世界中の様々な地域の人達が、自分の楽しむ自転車趣味を誇らしげに見せています。そこには様々なアイデアに満ちた工作があったり、とても美しい風景の中に佇む自転車であったり、またそうした趣味で楽しむサイクリストのイベントも見つけたりできます。
しかし、実際のサイクリング上ではどうかというと、趣味の自転車でサイクリングしている人は多くありません。ロードバイクでトレーニングしているな、と思う姿が大多数です。要因としてはサイクリングをするには一定レベルの体力が必要だったり、走って楽しい場所まで移動するストレスがあるからかもしれません。
他方、車やオートバイ界では趣味と競技のバランスは自転車界と逆転しています。これは競技車両が公道を走れないことが大きな理由でしょうね。趣味で楽しんでいるドライバーやライダーしか見かけません。昨今のキャンプブームでトランスポーターとして使っている車両も多いですが、それすら拘りのあるものに仕上げてあります。
前述の「自転車は体力が必要」を除いたら、もっと趣味の自転車好きが増えるのかもしれません。その鍵を握るのは "電動アシスト" でしょうね。最近では既存の自転車にボルトオンできる電動アシストも製品化されてきています。小型化が進めば拘りの自転車の美観を損なわずに行動力を手に入れることができます。
競技の人口は一定量から大きく上下することはありません。それは体力には上限があり、ずっと維持できるものではないからです。自分の限界は経年とともに下降します。体力をぎりぎりまで使う競技の場合、力が尽きるとその競技への魅力も無くなり止めてしまいます。それどころか「いやいや、もうあの辛さは勘弁してくれ」という人もいました。競技の最前線で戦っていた人が、その後に趣味として楽しむ人は少ないようです。
先日東京駅の近くで信号待ちしていたら、横から男性が近寄ってきて、
「トライアスロンをやっていたんですが、首が痛くてもうダメなんですよね。で、リカンベントがいいなって思ったんですが、売っているところも分からなくて… だから見かけて声を掛けさせてもらいました。」
他でも、
「学生の時にトライアスロンをやっていたんですが、卒業してなかなか時間がとれなくて、一番好きだったロードバイクだけ乗るようになりました。」
水泳はプールへ行かないと泳げませんし、ランニングと自転車を比べたら、自転車を選ぶ人が多いのかもしれません。三つの競技の中で自転車は楽なセクションと聞きますし。
自転車は自分のペースで楽しみ心を満たすには良い乗り物です。郊外に住んでいるなら里山へ、都心なら街角散歩 等々。街道で切磋琢磨している人に抜かれるのは目指しているものが違うから。未来のオリンピアンかもしれませんので、心の中で応援する余裕を持ちたいものですね。