幅員5.5m未満をゆく

自転車とサイクリングの日記です。

幅員5.5m未満をゆく

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鶴峠

「日帰りルートでお勧めは何処?」と聞かれたなら『鶴峠』と答えるでしょう。
自走でもいいですし、輪行で美味しい所だけという楽しみ方もできます。上ってもいいし下ってもいい道です。

ルート 距160.9m △2,552m
クリックするとRWGPSでZoomできるようになります。


この土日は天気がよく無かったですね。土曜に仕事をして振り替えで月曜を休んで走ってきました。

郊外をワープして上野原から鶴川左岸で棡原(ゆづりはら)に着きます。ここは右岸の新道と左岸の旧道、甲武トンネルを越えて奥多摩へ続く道、鶴峠へ向かう道の五差路です。

こうしてカメラを向けていると右手からトンネルを抜けてきたロードが通り過ぎていきました。仕事がテレワーク(リモート)になった為でしょうか、最近は平日でもサイクリストを見かけます。

さて、峠まで19km、のんびり楽しみましょう。
峠までは幾つもの集落が点在して飽きることがありません。集落間も適度な距離感。

大垣戸(おおがいと)では愛車の写真をよく撮ります。
「自転車をメインにした写真では背景がごちゃつかない場所を選びましょう」と、何時だったか雑誌に書いてありました。自転車は細かい部品の集まりなので、背景に気をつけないと引き立たないということです。望遠レンズで背景をボカすのも有効。


柿の季節も終盤に差し掛かっていますね。この時期は柿バクダンに気を付けないと、運悪く直撃をくらったら一日鬱な気持ちになってしまいます。

 

右カーブを回った所にある古い家屋。Googleマップによると日寄神社社務所とのこと。時計はちゃんと合っています。
日本の田舎風景にはこうした木造の建物が多いです。以降もたくさん出てきます。


それぞれの集落は車道より上にあったり下にあったり。こうした歩き用の近道があったりします。味があっていいですね。

 

郊外は晴れていましたが上野原を過ぎたあたりから雲が多くなり、既に青空は無くなってしまいました。ちょっと期待はずれ。

鶴峠までの道程で一番大きな西原という集落があり。そのため西原みち、西原古道とも言います。古道は川沿いから離れた山の中腹にあって、秋にパスハンターで巡ることが多いです。


その先、初戸(はと)からメインの道を左へ外れて腰掛林道へ入ります。そのまま右へ上ると田和(峠)を超えることになります。田和の趣きも好きなんですが、そこまでの谷沿いの道が暗いイメージなんです。


林道の初っ端は12%くらいの急坂なのでジワジワとゆっくり上ります。上りきった辺りに炭焼き小屋があり、運が良いと煙が上がっているのを見ることができます。


この急な斜面は以前は畑でしたが、数年前に止めてしまったようで自然に帰りました。もう何処が畑だったか判別できません。


その斜面の上に一軒、下に一軒(数軒かな?)あります。上の家はもう住んでいないのかな…


腰掛の集落はメインルートの田和のちょうど反対側にあります。地図で見ると囲まれる範囲が島のように見えます。この島の上は中群(なかむれ)という集落があって、地形図を見るとここから山道が続いているようです。


左下から視線を感じたので見ると、鬼が… これなら猿も近寄らないことでしょう。


腰掛林道沿いの最後の集落の阿寺沢。最初に通った時には道路脇の小屋に大きな鹿の頭の骨と角があってビビリましたが、今では慣れっこにありました。猟犬にも吠えられることが多かったのですが、最近は猟犬もいなくなったようです。定期的に通っていると無くなるものが一つ、また一つと増えていきます。


メインルートと合流すると西原です。正面の弛みが田和。右手のもっこりが中群。その右端から腰掛林道を通ってきました。

集落途中から再びメインルートを外れて右折し、急坂を上った地点からの眺めが上の写真。

その急坂を上った所には高原状の原集落。雲に隠れた向こうは三頭山です。


味のある集会場にはバス停があります。先ほど上った急坂を上ってくるんです。このルート、上野原からバスで鶴峠まで揺られるのも楽しそうです。


原集落の見所はタイムスリップしたかのような家屋が多く見られることです。


像のような姿は昔の農機具でしょうか。野菜を効率よく切っていたのでしょう。


まだ使われているのか、階段(梯子)が二階へ伸びていました。


この民家は道にはみだしています (^^; 地震の揺れにも耐えられるようですね。柔よく剛を制す。


原集落を下ると続いて飯尾。写真右手の弛みは越ダワ。だいぶ前に原集落からパスハンティングで超えてきたことがあります。


飯尾から道が広くなった坂を上った先、長作の手前に行政境があります。上野原から小菅へ。以前、土地の人に聞いたら、長作から鶴峠を越えて小学校へ通っていたそうです。「当時は車道はなく毎日が山越えだった」と言っていました。

長作の東屋でお昼ご飯にしました。今日は少し嵩張るウィンドブレーカーを持ってきたのでコンロセットは無し、コンビニで買ったお握りを二つ食べました。


長作にこの道程で一番狭い箇所があります。左右の古い民家が最後まで受け渡さなかったということでしょう。今は相続人を探し当てられないのかもしれませんね。

僕は狭い道を広くすることには慎重派です。道というのは出来た時(作った時)の必要にして十分な広さだったはずです。時代が変わって広くしたいという要求があったとしても、その道を通れないことはまず無いです。ゆっくり走れば大きな車でも通れますし、通れないなら迂回すればいいだけのこと。道は広くなると交通速度が上がって危険になります。道を渡ることが難しくなり、信号を設置することにも繋がります。すると交通が滞ることになり、本末転倒になります。何より、交通が増えることは地域住民にとって喜ばしくないことですから。

長作から峠らしい上りが始まりますが、それほど長い距離ではありません。ここまで鶴峠へ至る道はサイクリングとして楽しいものですが、肝心の峠は広い切り通しで趣きが無いのが残念です。そんな心を癒してくれるのは傍らに置かれたピカチュー似の木彫りリスです。今日はカメラ目線ではありませんでした。


長作で休憩でウィンドブレーカーを着込みましたが、上りはオーバーヒートになりますので、袖を開けていました。峠の下りは閉じます。このmont-bellのウィンドブレーカーは裏に薄い起毛生地を張ってあるので、一枚生地の雨具より保温性があるので重宝します。ただ経年で袖のゴムがびろびろになってしまったので、スナップボタンを付けました。


豪快な下りは今日は控えめな速度で奥多摩湖小河内ダム)まで下りました。風張峠への道を横目に、時間が押しているから今日はこのまま下るぞ、と自分を納得させます。

ダム近くの駐車場でトイレ休憩と菓子パンを食べました。何時も賑わっているところですが、さすがに平日月曜とあっては車もオートバイも少ないです。

ダムを後にして奥多摩むかしみちへ入りました。こちらも観光で訪れている人はおらず、逆に住民の方達が道端でお喋りしていたり、普段にはない一片を見ることができました。


建付けの悪そうな戸の脇に大きな温度計があり13℃を示していました。寒いぞー。


小さな平屋建て。でも見える景色は一等地ですね。ちなみにここは東京都。


小さな庭も綺麗に手入れされて彩り豊かです。


斜面にへばりつく集落に住む人達は足腰が丈夫なんでしょうね。


視線を変えると、かつてダム建築に活躍したトロッコ軌道の跡が見えます。車道が出来る前、小菅やその先の集落までの道を想像するだけでもわくわくします。


奥多摩むかしみちが終わって車道を快適に下ります。先週の道志みちも長い下りですが、ここも負けず劣らず。古里まで来て対岸の吉野街道へ行こうか迷いましたが、今回はそのまま直進しました。こちらの方が明るいですし。

前方の空が青く見えるようになり、雲はやはり山だけだったんだと分かりました。御岳で対岸へ渡ることにしました。休日はカヤックで賑わう渓谷も静かです。


軍畑まで来てようやく頭上が青空になりました。気持ちも晴れ晴れ。
旧満地トンネルを抜けて草花通り、谷野街道で今回は1964東京五輪ルートへは上らなかったんですが、同じ丘陵地帯を上る街道はなんとローにしないと上れない急坂でした。これなら車が来ない五輪ルートの方がよかったなぁ、と後の祭りでした。


先週は太腿裏の疲労が激しかった一日でしたが、今回は奥多摩以後で太腿裏が疲れ始めても、その後は復調しました。これだけ長く自転車をやっていても未だに身体の疲労コントロールはできません。途中で食べた肉まんが良かったのか、山中での踏むペダリングから、郊外で回すペダリングへ変化したからか。
しかし復調は最後までは続かず、最後は太腿表が疲労して終了となりました。それでもリカンベントは前傾自転車よりも格段に疲れないんですけどね。

07:29 出発
10:51 棡原
12:44 長作 東屋
13:24 鶴峠
15:18 御岳
18:23 帰宅