特に馬頭観音や道祖神は僕達サイクリストには馴染みがあると思います。
馬頭観音は急坂に喘いでいる時に、ふと傍らを見ると有ったりします。
道祖神は集落の入口にあることが多く、旅情をかきたてられますね。
同じ石碑でも幾度を見るうちに、以前は見えなかったものが見えてくることがあります。
日曜はそんな石碑の発見がありました。
長い石積みの壁の真ん中あたりにそれは祭られています。
緑色の石でできた馬頭観音は珍しいです。
この馬頭観音は何度も見ていますが、いつも手入れされている様がうかがえます。
縄が掛けられ、紙垂(しで)もありますね。
遠めから写真を撮り、彫られている文字を読もうと近づきます。
なかなか読み難くなってしまいましたが、確か馬頭観世音と書いてあったと思います。
むむ?
この形…
まさか!
そうか、そうだったのか。
古(いにしえ)の人が石に込めた思いが分かりました。
真ん中分けのような中央の形。
柔らかいのを開いたようなその形。
そして、その上にある丸い玉。
正しくアレですね!
改めて全体を見てみましょう。
なるほど、頷けます。
そして縄と紙垂(しで)は神聖なものの印。
確かに神聖なるものです。
設置されている位置も絶妙です。
その肝心なところには手が届きません。
もっと低い位置にあったとしたら、どこぞのお擦り様のようになっていたかもしれません。
そういう意味では苔にも意味があるといっていいでしょう!
興味本位でもっと近づいてみました。
神聖なるところは触れない代わりに、覗くことができます!
蜜が… んなわけない か。
最後に、この道の名前ですが、
「日影林通り」と言います。
日影、なるほど。日は当たりません。
林、なるほど。ふさふさ、ですね。
全てのピースがつながりました。
持論では、道祖神は人の出入りが少ない集落に(血が濃くなっている)、旅人の血を入れることが一つの意味だったと思っています。
集落の入口に置くことで旅人に立ち寄って欲しい気持ちを表していたのではないでしょうか。
地域によっては道祖神の傍らに丸い石が置かれていることがありますが、もしかすると旅人に授かった子を表しているのではないかと思ったりもします。
石碑は面白いです。